北九州に残る3隻の駆逐艦「軍艦防波堤」アクセスとレビュー

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北九州に残る3隻の駆逐艦「軍艦防波堤」アクセスとレビュー

福岡県北九州市若松区の港には、旧日本海軍の駆逐艦「涼月」「冬月」「柳」の3隻の艦体を沈設して作られた防波堤があります。そのうち駆逐艦「柳」は、現在でも艦体の一部が露出されており、自由に見学もでき、貴重な産業文化財として注目されています。駆逐艦「涼月」と「冬月」は、人気ゲーム「艦隊これくしょん(艦これ)」にも実装されており、その影響もあって軍艦防波堤への注目度も高まっているようです。

本記事では、軍艦防波堤へのアクセスや見学のレビューを調べている方に向けて、軍艦防波堤の歴史的背景と概要、防波堤を構成する駆逐艦「涼月」「冬月」「柳」の情報、そして実際に軍艦防波堤を訪れる際のアクセス方法から、筆者が実際に軍艦防波堤を見学した時のレビューを紹介し、見学の際の注意点まで、詳しく解説します。本記事を参考に、歴史と艦影が織りなす特別な場所への旅に出かけてみましょう。

この記事で説明するポイント
・軍艦防波堤の歴史的背景と概要
・軍艦防波堤を構成する駆逐艦「涼月」「冬月」「柳」の情報
・軍艦防波堤への具体的なアクセス方法
・軍艦防波堤を見学する際の注意点

北九州の軍艦防波堤:基本知識とアクセス情報

軍艦防波堤の全景

ここでは、北九州の軍艦防波堤に関する基本知識とアクセス情報について理解を深めるため、軍艦防波堤の歴史的背景、軍艦防波堤を構成する3隻の駆逐艦「涼月」「冬月」「柳」について、そして公共交通機関を利用して軍艦防波堤へアクセスできるかどうか、また軍艦防波堤へのおすすめのアクセス方法について詳しく解説します。

北九州港: 公式サイト

軍艦防波堤とは?その歴史的背景

軍艦防波堤とは、福岡県北九州市若松区の響灘に存在する特殊な防波堤です。これは、第二次世界大戦後に解体される予定であった旧日本海軍の駆逐艦3隻の艦体を沈めて構築されました。正式名称は「響灘沈艦護岸」と言います。

戦後の混乱期、多くの旧軍艦が連合国への賠償やスクラップとして処分される中で、日本国内のいくつかの地域では、資源不足の中、旧軍艦の艦体を港湾施設の一部として代用する試みがなされました。その後の戦後復興と高度経済成長を経て、旧軍艦を使った防波堤の多くは撤去されていますが、この北九州の軍艦防波堤は、改修工事を経つつも現存しています。

現在この軍艦防波堤は、単に波を防ぐという機能だけでなく、当時の日本の造船技術や歴史を今に伝える貴重な産業遺産としての側面も持っています。

軍艦防波堤を構成する3隻の駆逐艦「涼月」「冬月」「柳」

この軍艦防波堤は、「涼月(すずつき)」、「冬月(ふゆつき)」、「柳(やなぎ)」という3隻の駆逐艦の艦体を活用して造られました。これらの艦は、第一次世界大戦や第二次世界大戦で活躍した歴史を持っています。防波堤を構成する艦の配置としては、沖側から陸側に向かって「柳」→「涼月」→「冬月」の順に一直線に並べられています。

設置当初は、これらの艦体そのものが露出し防波堤としての役割を果たしていましたが、その後の改修工事によって、これら3隻の駆逐艦はコンクリートで補強され、「涼月」と「冬月」はコンクリートで完全に埋められて、現在ではその姿を見ることはできず、「柳」のみ艦体の一部をコンクリートの上に露出させています。

このように、現在、軍艦防波堤の3隻の駆逐艦の中で唯一、その一部を露出させ、見学できるのが駆逐艦「柳」です。長年の風雨や海水に晒され、船体の鉄部は赤錆が目立ちますが、艦首部分がしっかりと残っており、当時の軍艦の面影をわずかに伝えています。

駆逐艦「柳」について

軍艦防波堤の駆逐艦「柳」は、桃型駆逐艦の4番艦として、大正6年(1917年)に建造された純国産の駆逐艦です。同名艦に1944年起工・1946年解体の松型駆逐艦の「柳」があり、混同されがちですが、これとは別の駆逐艦です。この駆逐艦「柳」は、第一次世界大戦や第二次上海事変にも参加した歴史を持ち、約100年前に活躍した駆逐艦です。艦体の一部とはいえ、このような歴史ある軍艦の姿を見ることができるのは非常に貴重と言えるでしょう。全長88mの艦体の一部が露出しており、その大きさを実感することができます。

駆逐艦「涼月」と「冬月」について

軍艦防波堤を構成していた3隻の駆逐艦のうち、「涼月」と「冬月」は、上でも説明した通り、現在その姿を直接見ることはできません。これら2隻の駆逐艦は、防波堤として設置された後、経年による劣化や安全性の問題から、改修工事によってコンクリートで完全に埋められています。

このうち駆逐艦「涼月」は、秋月型駆逐艦の2番艦として建造され、高い対空能力を持っていたことで知られています。駆逐艦「冬月」もまた秋月型駆逐艦の4番艦であり、数々の海戦に参加しました。これらの艦は、太平洋戦争終結後、他の多くの旧日本海軍艦艇と同様に、解体される運命にありましたが、一部がこの地で防波堤という形でその役割を変え、現在に至っています。

コンクリートに埋設されたため、その具体的な形状や状態を確認することはできませんが、この防波堤の一部として、今もなお静かにその存在を示しています。訪れる人は、現在見ることができる駆逐艦「柳」の姿を通して、共にこの地に眠る「涼月」と「冬月」の存在を感じることができるかもしれません。

軍艦防波堤へのアクセス:公共交通機関は利用できるか?

公共交通機関を利用して軍艦防波堤へ向かう場合、現状ではいくつか注意すべき点があります。鉄道の場合、最寄りの駅はJR若松駅となります。しかし、若松駅から軍艦防波堤までは約7.5kmと距離があり、徒歩では1時間半ほどかかる計算になり、若松駅からの徒歩でのアクセスは現実的ではありません。

バスを利用する場合、JR戸畑駅から北九州市営バスの7番系統が、軍艦防波堤の約1km手前にある「響灘工業団地第三」停留所まで運行しています。ただし、このバスの運行本数は非常に限られており、平日の朝7時台と8時台にそれぞれ1本、土曜日の朝8時台に1本のみで、日曜日と祝日は運行がありません。また、帰りも平日の夕方17時台と18時台にそれぞれ1本、土曜日の夕方17時台に1本のみとなっています。これらのバスは、主に工業団地へ通勤する人々のためのものであり、軍艦防波堤の見学目的での利用は難しいと言わざるを得ません。

別のバスの選択肢としては、戸畑駅または若松駅から北九州市営バスの9番系統を利用し、「若松営業所」まで行く方法があります。このバスは、平日、土日祝日問わず1時間に1本程度の頻度で運行しています。しかし、若松営業所から軍艦防波堤までは、上の地図で示す通り、依然として約5kmの道のりがあり、徒歩で約1時間程度を要します。

このように、軍艦防波堤へのアクセスに公共交通機関のみを利用することは可能ではありますが、バスの時間や本数が限られていたり、徒歩にしても約5kmも歩く必要があるので、あまり現実的ではないでしょう。それでも公共交通機関でアクセスしたいという場合は、事前にしっかりと時刻表を確認し、時間に余裕を持った計画を立てる必要があります。また、バス停から目的地までの距離も考慮に入れる必要があるでしょう。

軍艦防波堤への現実的なアクセス方法としては、タクシー配車アプリなどを使って、若松駅から軍艦防波堤を往復する方法か、あるいはレンタカーを利用する方法がおすすめとなるでしょう。筆者が訪問した場合にはレンタカーを利用しました。軍艦防波堤までの道順は、それほど複雑ではありません。主要道路から少し入りますが、交通量も比較的少なく、道幅も広いため、普段運転に慣れていない方でも安心して運転できると思われます。また、軍艦防波堤の周辺には路上駐車できるスペースが十分にありますので、車を停めてゆっくりと見学することができます。

北九州の軍艦防波堤:見学レビューと見学の注意点

軍艦防波堤の艦体配置図

次に、筆者が実際に軍艦防波堤を訪問したときの見学レビューを紹介することで、軍艦防波堤の具体的なイメージをつかんでいただき、最後に、軍艦防波堤を見学する際の注意点などを紹介します。 

軍艦防波堤の見学レビュー

筆者がレンタカーを利用して軍艦防波堤を見学したときのレビューを紹介します。車でのアクセスについては、Googleマップなどにも「軍艦防波堤」が表示されるので、スマホのナビアプリを使うと簡単です。道中に標識や看板などは特に設置されていないので、ナビアプリだけが頼りです。

軍艦防波堤に到着して最初の光景

現場に到着し、ここが軍艦防波堤だということは、すぐにわかりました。上の写真のように駆逐艦「柳」の艦首がこちらを向いてデンと構えている姿が一番に目に入るとともに、軍艦防波堤の案内板、説明板がそれぞれ設定されていたからです。

私が行ったのは土曜日のお昼過ぎでしたが、防波堤で海釣りをしている人たちが数人いました。ここは海釣りでも人気のスポットのようですから、土日祝日の早朝や夕方には海釣りの人で混雑する可能性もあります。だからと言って特に問題はないとも思うのですが、人が写り込まない写真が撮りたいなどの場合には、混雑しそうな日時を避けて行かれるほうがいいかもしれません。

駆逐艦「柳」「涼月」「冬月」の案内板

3隻の艦のうち、その艦体が見えているのは駆逐艦「柳」だけです。「柳」という名の駆逐艦は2隻あったそうで、こちらは桃型駆逐艦4番艦で、初代「柳」と呼ばれています。1917年に佐世保海軍工廠で建造された純国産。第一次世界大戦では、はるばる地中海まで赴き海上護衛に従事、1932年の第一次上海事変において活躍しました。そんな100年前に活躍した国産軍艦に会えるのは感慨深いです。

駆逐艦「柳」の側面

周囲をグルっとまわってみます。露出した鉄の部分が「柳」の艦体だと思われますが、真っ赤に赤さびた姿に長い時間の経過を感じます。触ってみると、意外にもボロボロと崩れる感じはしませんでした。このままずっと現状が維持されることを祈ってやみません。

赤さびた艦体

「柳」の全長は88mだそうです。艦首から艦尾まで歩いてみると、とてもコンパクトな駆逐艦だったことがわかります。艦首および艦尾と思われる部分は、船体の一部と思われる金属がそれぞれ露出しています。側部も露出して残っているので、ここからここまでが「柳」だとわかるようになっています。

艦尾の様子

「柳」の艦首から来た道を戻る方向にはコンクリートの下に駆逐艦「涼月」が、そして更にその先には駆逐艦「冬月」が埋まっているのでしょう。その姿を見ることはできませんが、すぐ近くにいるんだなと、その存在を感じることができたような気がしました。

駆逐艦「涼月」「冬月」を感じる

今回ご訪問した軍艦防波堤は、アクセスが容易とは言えませんし、誰もが楽しめる観光スポットではないかもしれませんが、日本の近代史の1コマを伝える貴重な文化遺産であることは間違いありません。ご興味のある方には是非一度足を運んでもらいたいと思う場所です。

軍艦防波堤を見学する際の注意点

軍艦防波堤を訪れるにあたって、いくつか注意しておきたい点があります。まず、周辺は工業団地であり、一般的な観光地のような賑やかさはありません。民家や商店などもほとんどないため、事前に必要なものは準備しておく必要があります。

また、軍艦防波堤自体は、手すりなどが設置されているわけではありません。特に、露出している駆逐艦「柳」の船体は、長年の風雨や海水によって老朽化が進んでいる部分もあります。見学の際は、足元に注意し、無理に乗り上げたり、危険な場所に立ち入ったりしないように心がけましょう。

さらに、軍艦防波堤は海に面した場所に位置しているため、天候によっては風が強く吹いたり、波が高くなったりする可能性があります。荒天時には、見学を控える判断も重要です。

アクセスに関しても注意が必要です。公共交通機関は本数が限られており、タクシーを利用する場合は、帰りの手配が難しい場合があります。レンタカーを利用する場合でも、運転には十分注意し、安全な場所に駐車するようにしてください。

また、軍艦防波堤は海釣りのスポットとしても有名な場所です。休日などは多くの釣り人で賑わっている場合もありますので、マナーを守りながら見学し、写真撮影時などほかの人とのトラブルを起こさないよう注意が必要です。

最後に、軍艦防波堤は歴史的な遺産であり、文化財としての価値も認められています。見学の際は、この点を理解し、大切に扱うように心がけましょう。落書きをしたり、構造物を傷つけたりするような行為は絶対に避けるべきです。

まとめ:北九州に残る3隻の駆逐艦「軍艦防波堤」アクセスとレビュー

本記事の内容をまとめると次のとおりです。

  • 軍艦防波堤は、福岡県北九州市若松区の響灘に存在する
  • 軍艦防波堤は、旧日本海軍の駆逐艦3隻の艦体を沈めて構築された
  • 軍艦防波堤の正式名称は「響灘沈艦護岸」という
  • 軍艦防波堤は、日本の造船技術や歴史を伝える産業遺産とされている
  • 駆逐艦「涼月」「冬月」「柳」の3隻の駆逐艦が軍艦防波堤を構成する
  • これら駆逐艦3隻は第一次世界大戦や第二次世界大戦で活躍した艦艇である
  • 軍艦防波堤での艦体の配置順は、沖側から「柳」「涼月」「冬月」の順である
  • 駆逐艦3隻のうち改修工事で「涼月」と「冬月」はコンクリートで埋められた
  • 現在、艦体を露出して見学可能なのは駆逐艦「柳」の一部のみである
  • 軍艦防波堤にある駆逐艦「柳」は桃型駆逐艦の4番艦で、初代の「柳」とも呼ぶ
  • 軍艦防波堤まで若松駅からの徒歩は現実的でない
  • 軍艦防波堤の近くまで行くバスは本数が限られている
  • 軍艦防波堤に行くにはタクシーまたはレンタカーの利用がおすすめ
  • 軍艦防波堤は海釣りのスポットでもある