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日本統治時代の韓国ソウルにかつて存在した「博文寺(はくぶんじ)」は、伊藤博文を追悼する目的で建立された寺院であり、現在はソウル新羅ホテルの敷地内にその痕跡が残されています。独立運動家の安重根による伊藤博文暗殺という歴史的背景を持つこの場所は、日韓の複雑な歴史を象徴するスポットでもあります。ソウルに残る現在の博文寺跡の姿を知りたい人にとって、現地に残る石段や山門のレプリカは歴史を感じる貴重な手がかりとなることでしょう。また、実際に博文寺跡の現在の様子を訪ねることで、安重根との関係や当時の朝鮮社会の反応など、歴史の多面性にも触れることができることでしょう。
- 本記事が説明するポイント
- ・博文寺が伊藤博文を追悼するために建立された背景
・博文寺の跡地が現在ソウル新羅ホテルの敷地内にあること
・安重根との歴史的関係と当時の朝鮮社会の反応
・現地に残る博文寺跡へのアクセス方法
韓国ソウルにあった「博文寺」の歴史とアクセス情報

今回ご紹介する「博文寺跡」は、韓国ソウルにある一流ホテル「 ソウル新羅ホテル」の敷地内にあります。ここは旧大韓帝国の独立運動家である安重根により暗殺された朝鮮初代統監の伊藤博文を追悼する目的で建立された博文寺というお寺があった場所です。現在の日韓の国民感情がぶつかるとてもデリケートな部分でもあるのですが、どの立場をとる人にとっても重要な歴史の1コマであることには違いありませんので、敢えて史跡としてご紹介したいと思います。
まずここでは、博文寺が建立された経緯、博文寺に対する住民感情や安重根の遺族の反応、日本統治時代が終わった現在の博文寺、博文寺跡へのアクセス方法などについて解説し、韓国ソウルにあった「博文寺」の歴史と、実際に博文寺跡を訪ねてみたい方にとって役立つアクセス情報をご紹介します。
ソウル新羅ホテル(The Shilla Seoul): 公式サイト
博文寺が建立された経緯

博文寺は、日本統治時代の朝鮮、京城府(現在のソウル市)に存在した曹洞宗の仏教寺院です。寺院名の由来は、朝鮮初代統監の「伊藤博文」です。つまりは伊藤博文を追悼する目的で建立された寺院でした。
朝鮮に博文寺を造ろうとした提唱者は、当時の朝鮮総督府の児玉秀雄政務総監と言われています。児玉は政務総監に就任すると、伊藤博文追悼を祈念する寺院を造る募金運動を起こし、1932年(昭和7年)10月26日(伊藤博文の23回忌)、奨忠壇公園に博文寺の建立を実現しました。
奨忠壇公園とは、旧大韓帝国に殉じた忠臣や烈士を祀るために、1900年9月に皇帝高宗が奨忠壇という祀堂を建立したことが起源となっています。現在、ソウル新羅ホテルの西隣に奨忠壇公園がありますが、当時は奨忠壇公園が現在のソウル新羅ホテルの敷地まで及んでいたそうです。つまり、博文寺は奨忠壇公園の中の森を切り開いて建立したということになります。
博文寺に対する住民感情や安重根の遺族の反応は?

児玉政務総監の意図としては、朝鮮のために尽力した伊藤博文だからこそ、この奨忠壇公園に寺院を建てて追悼したかったということなのでしょうか。現在の韓国の方々の歴史認識や国民感情から考えると、暴動が起こりそうな出来事でしょうが、筆者が独自に調べた限りでは万歳事件(三一独立運動)のときのような混乱さえも探すことができませんでした。
そればかりか、当時の新聞記事からは、安重根の息子が博文寺を訪問して焼香したことや、安重根の娘も夫と共に博文寺を参拝していることなどが伝えられています。現在と同様にメディアが偏向した記事を流していたとも考えられますが、当時の朝鮮の方々がもつ伊藤博文に対する感情や安重根に対する評価は、少なくとも現在の韓国と同じであったとは言い難いような気もします。
日本統治時代が終わった現在の博文寺

日本統治時代が終了した後、博文寺は米軍に接収され、博文寺の本堂など建物は取り壊されました。その跡地には1960年代に朴正煕政権の迎賓館が建てられ、その後、迎賓館を受け継いで「ソウル新羅ホテル」が建設され現在に至ります。
なお、後半の訪問レビューで述べますが、博文寺の山門として使用されていた「興化門」は別の場所に移築されており、博文寺の境内にあった石段は、ソウル新羅ホテルの敷地内に現存しています。また、博文寺の本堂のあった場所には、ソウル新羅ホテルのイベントホール「迎賓館」が建っています。
博文寺跡へのアクセス方法

博文寺跡の場所はソウル新羅ホテルとなります。地下鉄3号線のドンデイプク駅(東大入口:Dongguk Univ.)で下車します。ソウル新羅ホテルの西には奨忠壇公園を挟んで東国大学校(ドングクテハッキョ)という大きな大学がありますが、東国大学校の略称が「東大(ドンデ)」であるため、駅名が「ドンデイプク(東大入口)」となっています。
ドンデイプク駅の改札を出て5番出口から地上に出ます。すると、すぐに朝鮮王朝風の正門が見えます。そこがソウル新羅ホテルの入口であり、博文寺の山門があった場所です。正門を入った場所が博文寺跡となります。駅のすぐそばなのでアクセスは大変便利です。
ちなみに、このブログでは「博文寺跡」を隠れた史跡としてご紹介していますが、現地にはそれを示す標識、看板、説明書などは一切ありません。「博文寺(はくぶんじ)」や韓国語読みの「パンムンサ」で人に尋ねても知っている方に出会うことは難しいかもしれません。実際に迷うことは無いとは思いますが、もし目印とするなら、ソウル新羅ホテルの正門や「迎賓館」を目指して行くことをおすすめします。
韓国ソウルに残る「博文寺跡」を訪ねてみたレビュー
続いてここでは、筆者が実際に韓国ソウルで博文寺跡を訪ねてみたレビューを簡単にご紹介します。かつての山門はホテルの正門になっていたり、博文寺の境内であった敷地内に入って博文寺の石段や本堂跡を発見することができました。博文寺跡に興味をもって実際に訪ねてみようか迷っている人にとっては、筆者によるレビューを通じて、どういった体験が可能なのか具体的に知ることができるだろうと思います。
かつての山門はホテルの正門

地下鉄駅の出口から地上に出ると、まずソウル新羅ホテルの正門が見えました。ここはかつての博文寺の山門があったところ。今見ることのできる「迎賓館」と書かれた朝鮮風の正門は当時の山門「興化門」のレプリカです。
朝鮮王朝の宮殿の1つに慶熙宮というのがあるのですが、日本統治時代にこの慶熙宮が解体されました。その際、この慶熙宮の門であった興化門が奨忠壇公園に移築され、博文寺の山門として使用されていました。
日本統治が終わった後、博文寺跡地が ソウル新羅ホテルとなってからも、この興化門は残されてソウル新羅ホテルの正門として利用されていましたが、慶熙宮の復旧再建が進むなか、1988年に興化門がもとの慶熙宮の場所に戻され、代わりにそのレプリカが置かれているのです。レプリカとはいえ、外観や内装などもよく再現されているようで、博文寺当時の雰囲気を感じることができます。

ちなみに、上の写真は再建された慶熙宮の前に移築された現在の興化門です。ソウル新羅ホテルからは地下鉄を利用して所要時間30分ほどの距離なので、あわせて見学するといいでしょう。
正門よりかつての境内に入る

正門をくぐって振り返ると、横裏側の植込みの中に、石でできた何かの構造物がありました。古いもののようですが、灯篭か何かの残骸なのでしょうか?その正体はよくわかりませんでしたが、博文寺で使われていた何かである可能性もありそうです。
正門を過ぎて車道を渡ると広い車の駐車スペースがあります。かつては博文寺の境内であった場所のようですが、とてもひろい敷地で、博文寺の規模の大きさに驚きます。なお、ここはホテル内の道路であるにもかかわらず、車の交通量が多いので車道を渡るときは十分に注意が必要です。そして、駐車スペースの奥には真っ直ぐに伸びる長い石段が見えました。
博文寺の石段と本堂跡を発見

これは博文寺で使われていた石段に違いありません。石段の周囲は森が残されており、木々に囲まれた静かな石段を上ると、まさしく寺院にお参りに来た気持ちになります。そして、この石段を登り切った先には迎賓館の建物がありました。現在はソウル新羅ホテルのイベントホールになっているようです。
ちなみに、長い石段が100段で、迎賓館前の階段が8段、あわせて108段になっています。この数字はいかにも、ですね。きっと迎賓館前の階段も博文寺のときのものを使っているのではと思われます。

博文寺の本堂はこの迎賓館の場所にあったのではないかと思われます。博文寺の本堂は鉄筋コンクリート・二階建て鎌倉時代の禅宗様を模した、近代と中世とを折衷した建築物であったそうです。現在の迎賓館の大きさから推測してもかなり大規模な本堂だったに違いありません。
以上が筆者による博文寺跡の探訪でした。今から80年ほど昔には、現在とは全く異なる世界があった事実を少しでも実感できたような、とても有意義な旅になりました。
まとめ:韓国ソウルにある日本統治時代の史跡「博文寺跡」を訪ねる
本記事の内容をまとめると次のとおりです。
- 博文寺は伊藤博文を追悼するために建立された仏教寺院である
- 寺院名は伊藤博文の名に由来している
- 建立の提唱者は当時の朝鮮総督府政務総監 児玉秀雄である
- 1932年に奨忠壇公園内に博文寺が建てられた
- 奨忠壇公園は忠臣や烈士を祀るために設けられた場所である
- 博文寺は奨忠壇公園の森を切り開いて建てられた
- 当時の朝鮮人の反応は意外にも穏やかだったと推測される
- 安重根の遺族が博文寺を訪れた記録がある
- 日本統治終了後に博文寺は米軍に接収され取り壊された
- 博文寺跡地には朴正煕政権の迎賓館が建てられ、後にソウル新羅ホテルとなった
- 興化門は博文寺の山門として使われたが現在は慶熙宮に戻されている
- 興化門のレプリカがホテル正門として残されている
- 博文寺境内の石段は現在もホテル敷地内に現存している
- 石段は合計108段あり仏教的意味合いが込められている可能性がある
- 現地には博文寺跡を示す案内板などは一切存在しない
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