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「音戸の瀬戸」とは、呉の市街地から7kmほど南にあり、本州と倉橋島との間の水路のことです。瀬戸内海有数の航路でもある音戸の瀬戸は、平清盛が開削したという伝説があるとともに、風光明媚な観光地として知られています。2012年に放映されたNHK大河ドラマ「平清盛」にも登場しているので、ご存知の方もいらっしゃると思います。
今回は、平清盛伝説「音戸の瀬戸」に興味があり、音戸の瀬戸を観光してみたいと考えている人に向けて、音戸の瀬戸公園の展望所と渡し船(跡)で音戸の瀬戸を楽しむ方法について、ご紹介してみたいと思います。
- 本記事で説明するポイント
- ・音戸の瀬戸の歴史と平清盛にまつわる伝説について
・音戸の瀬戸公園と展望所その他の見どころについて
・渡し船(跡)と渡し船の乗船記を紹介
・音戸の瀬戸へのアクセス方法について
音戸の瀬戸の概要と平清盛伝説
まず、音戸の瀬戸の概要と平清盛伝説を説明し、音戸の瀬戸の観光ポイントについても言及します。
音戸の瀬戸の概要
音戸の瀬戸は、本州側となる呉市の警固屋 (けごや) と倉橋島とを隔てる幅100mほどの海峡です。海峡というより水路と表現したほうがいいかもしれません。
広島湾と安芸灘をつなぐ音戸の瀬戸は、幅が狭いため潮流が速く、その一方で、広島~松山航路など船舶の通過量は多いため、海の難所としても知られています。
本州側の警固屋と倉橋島との間の移動手段としては、かつては後述する「渡し船」しかありませんでしたが、1961年に警固屋と倉橋島とを結ぶ音戸大橋が完成しました。また、2013年には音戸大橋の北側に第二音戸大橋が完成しました。
音戸の瀬戸と平清盛伝説
この音戸の瀬戸には、古くから多くの伝説と歴史が語り継がれています。特に有名なのは、平清盛がこの海峡を開削したという伝説です。
伝承によれば、もともと本州と倉橋島との間はつながっていたが、平清盛が1165年に開削工事を行って本州の警固屋と倉橋島の音戸との間を切り離し、音戸の瀬戸を作って航路を整備したとのこと。厳島神社への参詣や日宋貿易のために活用するのが音戸の瀬戸を作った目的とされているようです。
また、平清盛に関連し、音戸の瀬戸には「日招き伝説」があります。平清盛が工事を急ぐために、沈む夕日を扇で招き返したという話です。この伝説は、平清盛の強い意志とリーダーシップを象徴するものとして語り継がれています。ちなみに、上で紹介した第二音戸大橋は「日招き大橋」の愛称で親しまれています。
一方で、音戸の瀬戸の地名の由来には諸説あります。例えば、干潮時に歩いて渡ることができたことから「隠渡」と呼ばれたという説や、平家の落人が渡ったことから名付けられたという説もあります。これらの伝説や歴史は、音戸の瀬戸を訪れる観光客にとって興味深いポイントとなっています。
音戸の瀬戸公園の展望所と渡し船(跡)
続いて、音戸の瀬戸を観光する際には是非立ち寄ってみたい音戸の瀬戸公園の展望所など見どころを紹介し、今は廃止となってしまった渡し船の跡地などについて紹介します。
音戸の瀬戸公園の見どころ
音戸の瀬戸公園は、広島県呉市に位置する観光名所として知られています。この公園は、音戸の瀬戸を見渡せる風光明媚な景観と歴史的な見所が豊富で、訪れる人々を魅了します。美しい瀬戸内海を背景に、歴史的建造物や展望スポットを巡ることができ、家族連れや観光客にとっておすすめの場所です。
高烏台展望所
高烏台展望所は音戸の瀬戸公園の中でも特に人気の展望所です。ここからは美しい音戸の瀬戸と、その上にかかる音戸大橋を一望することができます。特に夕暮れ時には、橙色に染まる海と空が絶景を作り出し、多くの観光客がその風景を楽しみに訪れます。この展望所は、季節ごとに異なる風景を提供してくれますので、訪れるたびに新たな魅力を発見できるでしょう。
高烏砲台跡・兵舎跡
日清・日露戦争などにより、呉港が軍事的に重要な拠点となったことから、呉港への入口となる音戸の瀬戸を防衛するために高烏台に要塞砲台が造られました。その遺構として残る石造りの建物は高烏砲台の兵舎だったものです。
高烏砲台兵舎跡は、明治時代に建設された歴史的な遺構で、往時の面影を現在に伝えています。かつての兵舎として使用されていたこの場所は、近代日本の防衛を考える上で貴重な文化遺産です。
周囲を歩くと当時の構造や技術が感じられ、歴史好きの人々にとって興味深い場所となっています。案内板や説明文を頼りに、歴史の一端に触れてみるのもおすすめです。
平清盛二重の塔
平清盛二重の塔は、平安時代の武将である平清盛を称えるために建立された塔です。この塔は、音戸の瀬戸公園における重要なランドマークで、歴史的な背景を持つ建造物です。
平清盛公日招き像
平清盛公日招き像は、公園のシンボルとして親しまれている像です。この像は、平清盛が音戸の瀬戸を開削する際に行ったとされる「日招き」の伝説に基づいています。多くの人々にとって、歴史的な偉業を感じさせる象徴的な存在です。
訪れる際には、この像の前で歴史に思いを馳せ、平清盛の偉業を称える時間を過ごすのもいいでしょう。また、像の近くには案内板があり、伝説や背景を学ぶこともでき、学習的要素も兼ね備えています。
瀬戸見展望所
瀬戸見展望台も、上で紹介した高烏台展望所に劣らぬ絶景を楽しめます。この展望台からは、青く広がる音戸の瀬戸の海と、そこを行き交う船の風景が一望でき、訪れた人々に大きな感動を与えます。風を感じながら歩き、心地よい自然に包まれるひとときは、観光の醍醐味とも言えるでしょう。また、展望台近辺には休憩所やベンチが整備されており、ゆっくりと景色を楽しむことができるので、リラックスした時間を過ごすことができます。
音戸の瀬戸公園へのアクセス
公共交通機関を使って音戸の瀬戸公園へアクセスするには、JR呉駅から広電バスを利用します。呉駅の北側(駅ビル「クレスト」がある側)から外に出るとロータリーになっており、向かって左側にバス停が並んでいます。下車するバス停は「音戸渡船口」です。「音戸渡船口」に止まるバス路線は次の2つです。
呉倉橋島線「呉駅前〜昭和町〜鍋桟橋〜藤の脇・桂浜温泉館」:呉駅前3番のりば
宮原線「呉駅前〜本通3丁目〜宮原〜鍋桟橋・音戸の瀬戸」:呉駅前4番のりば
いずれも、呉駅前から音戸渡船口までの乗車時間は30分弱くらい、料金は大人360円です。音戸渡船口バス停に降りるとすぐ目の前に三角屋根の「音戸渡船」が見えると思います。ここが後述する警固屋側の渡し船の跡地となります。
音戸渡船口バス停から山側に行くと「吉川英治文学碑(遊歩道)」という看板があるので、それに従って細い道を10分ほど登っていくと、音戸の瀬戸公園の吉川英治文学碑に到着します。このあたりからも音戸の瀬戸や音戸大橋を眺めることができます。
さらにここから高烏台展望所までは、道路沿いに2kmほど登っていくことになります。徒歩でだいたい40分くらいは見ておいたほうがいいかもしれません。高烏台展望所の周辺に、高烏砲台跡・兵舎跡、平清盛二重の塔、平清盛公日招き像、瀬戸見展望所などの見どころが集中していますので、歩くのは大変ですが、高烏台展望所までは行って見ることをおすすめします。桜やツツジの季節に、お花見しながらハイキング気分で訪れてみるのがいいかもしれません。
渡し船(跡)について
次に、2021年に惜しまれつつ廃止となった音戸の瀬戸の渡し船(音戸渡船)の船着き場跡地もおすすめです。この渡し船は、運行当時「日本一短い海上定期航路」として知られ、わずか数分で対岸に渡ることができました。船上からは、音戸大橋や第二音戸大橋の美しいアーチを間近に見ることができ、特に夕暮れ時の景色は格別でした。
現在、警固屋側の船着き場跡地がレストラン「音戸渡船 kitchen TAMU」として営業されています。渡し船の運行当時のものも保存されており、音戸の瀬戸の観光では立ち寄ってみたいスポットです。上で説明した音戸の瀬戸公園へ行く際のバス停「音戸渡船口」が、ちょうどレストラン「音戸渡船 kitchen TAMU」の目の前になります。
渡し船「音戸渡船」乗船記
私は2018年に渡し船「音戸渡船」に乗船しました。今はもう乗ることができなくなりましたが、そのときの乗船記を簡単に紹介します。
警固屋側、倉橋島側いずれの場合も、まず渡し船の船着き場の建物に入ります。建物の先は音戸の瀬戸の海に面した桟橋になっています。船が桟橋に止まっている場合は、そのまま乗船すればいいし、船がいない場合は桟橋で待っていると対岸から船がやってきます。時刻表はありません。運賃100円(当時)は乗船時に船頭さんに支払います。
船内は、自転車なども積めるように全体的にフラットな床になっており、両側に簡素なベンチが設けられています。快適な座席ではありませんが、乗船時間も短いので、それほど苦にはなりません。
対岸までの距離は90mらしく、最短での乗船時間は約3分でした。ただ、大型船舶などの往来が多い水路でもありますので、そういう船が通過する際には、渡船はやり過ごすまで海の上で待っていることになり、少々時間がかかることもあるようです。対岸に着いたらとりあえず下船します。そのまま居残ってトンボ返りで対岸に戻ることはできません。
まず、警固屋側から乗船しました。音戸の瀬戸の潮流が速いからなのか、渡し船が小さいからなのか分かりませんが、意外とよく揺れました。乗船時間が短いので、さすがに船酔いの心配はなかったです。
出発して間もなく、渡し船の両側から、初代の音戸大橋と第二音戸大橋とをほぼ真正面の方向から見ることができます。海風を受けながら見る、海を跨いだ真紅のアーチがとても美しいです。下の写真は第二音戸大橋です。
初代の音戸大橋の倉橋島側たもとには、「清盛塚」が見えました(ちょっとわかりにくいですが、下の写真では右側の松の木のある場所)。この塚は1184年に、音戸の瀬戸を開削した平清盛の功績を讃えるために作られたとのことです。800年以上も昔にこんな大規模な工事をしたというのが驚きです(ただし、この伝承の真偽には議論があります)。
眺めを楽しんでいると、あっという間に対岸の倉橋島側へ到着。倉橋島側を少し散策した後、再び乗船。
出発してすぐに、「大きな船が通過するから少し待ちます」とのことで、海に浮いたまま待機。貨物船のような船がやってきて、すぐ横を通過しました。そのときに起こる波でグラっと揺れましたが、怖いというよりも迫力があって楽しかったです。
こうして、往復あわせて10分足らずの楽しい船旅が終了しました。
渡し船(跡)付近の見どころ「清盛塚」
上の乗船記でも触れましたが、初代の音戸大橋の倉橋島側たもとには、音戸の瀬戸を開削した平清盛の功績を讃える「清盛塚」があります。音戸渡船口から広電バスに乗ると音戸大橋を渡り、次のバス停が「清盛塚」です。場所は上の地図のとおり、倉橋島側の音戸渡船乗場(跡)から海沿いを200mほど初代の音戸大橋のほうへ歩き、橋の下をくぐるとすぐ先に清盛塚への入口があります。清盛塚を見学したあとは倉橋島側の音戸渡船乗場(跡)を散策がてら立寄ってみてもいいと思います。
まとめ:音戸の瀬戸公園の展望所と渡し船(跡)で平清盛伝説「音戸の瀬戸」を楽しむ
本記事の内容をまとめると、次のとおりです。
- 音戸の瀬戸は広島県呉市に位置する海峡である
- 音戸の瀬戸は平清盛が1165年に開削して作ったという伝説がある
- 平清盛が沈む夕日を扇で招き返して音戸の瀬戸の工事を進めたという「日招き伝説」がある
- 音戸の瀬戸は、音戸の瀬戸公園からの眺望がおすすめである
- 音戸の瀬戸公園には、高烏台展望所や瀬戸見展望所といった絶景を楽しめる展望所がある
- 音戸の瀬戸公園には、展望所のほか、高烏砲台跡・兵舎跡、平清盛二重の塔、平清盛公日招き像などの見どころがある
- 音戸の瀬戸公園では、桜やツツジの季節にはお花見が楽しめる
- 音戸の瀬戸の渡し船は、かつて日本一短い海上定期航路として知られていた
- 音戸の瀬戸の渡し船が廃止になったあと、船着き場はレストラン「音戸渡船 kitchen TAMU」として営業している
音戸の瀬戸を観光するには、呉駅からバス一本で行けるのでアクセスは簡単です。個人的には呉での観光の穴場になるのではないかと思っています。
呉を訪れる機会があれば、是非立寄ってみてください。
Have a nice trip!