ソウルにある百済歴史遺跡の場所「石村洞古墳群」へのガイド

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ソウルにある百済歴史遺跡の場所「石村洞古墳群」へのガイド

ソウルの松坡区にある石村洞古墳群は、百済の歴史を現地で体感できる貴重な遺跡のひとつです。韓国を訪問する旅行者の多くが「場所はどこ?」「見どころは何?」「アクセスは難しい?」と不安を感じますが、石村洞古墳群はソウル市街地に位置しておりアクセスは簡単で、歴史に興味のある人にとっては見どころの多い遺跡です。

この場所は漢城百済の都域に近く、石村洞古墳群の周辺には、風納土城、夢村土城、芳夷洞古墳群などもあり、漢城百済に関する展示をしている漢城百済博物館と合わせて訪問することで、古代都市の骨格が驚くほどクリアに見えてきます。例えば、近肖古王の時代像や475年の熊津遷都に関する理解にもつながり、松坡区内のアクセス動線を知れば効率よく周遊できます。

特にこの記事では、筆者が実際に石村洞古墳群を訪問したときのレビューも交えて、漢城百済の歴史遺跡の場所としての石村洞古墳群の特性と、ソウルの関連遺跡を結ぶ現地の歩き方まで丁寧に案内します。

本記事を読んでわかるポイント
・石村洞古墳群の基本情報と歴史的背景
・古墳の形態(積石塚・封土墳)と観察ポイント
・漢城百済の他遺跡との関係
・アクセスとモデルコース

ソウルの百済歴史遺跡の場所と石村洞古墳群について

石村洞古墳の第4号古墳

百済は、その歴史の中で主要な王都を3度遷都しており、遷都ごとに王都時代を区分しています。最初は、建国から西暦475年までの漢城時代、次は475年から538年までの熊津時代、そして最後は538年から642年までの泗沘時代です。

これら3つの王都時代のうち、漢城百済とも呼ばれる漢城時代に、現在のソウルの漢江(ハンガン)流域の慰礼城で百済が建国され、漢城(現在のソウル)に都が定められました。この漢城百済の王都期に築かれた遺跡が現在もソウル東南部の松坡区に帯状に残り、石村洞古墳群はその中心的スポットとなっています。

韓国 国家遺産庁(韓国語): ソウル石村洞古墳群

石村洞古墳群とは(史跡第243号/立地の特徴)

石村洞古墳群は、ロッテワールドのあるソウル特別市松坡区の石村湖(ソクチョンホ)南側の小さな丘に点在する古墳の集まりで、大韓民国の史跡第243号に指定されています。複数の墳丘が住宅街の合間に散らばるように残っているため、現代の街並みと古代の遺跡が隣り合う独特の景観が見られるのが大きな魅力です。

「石村洞」という地名が示す通り、この周辺には石材を使った古墳が多く、漢城百済期の埋葬文化を具体的に観察できます。石村洞古墳群の位置の目安は、石村湖の南縁・西縁で、石村湖の散策路から徒歩でアクセスできます。

石村洞古墳群での古墳の形(積石塚と封土墳)と見どころ

 石村洞古墳群では、主に次の2種類の古墳の形が見られます。それぞれについて簡単に説明します。

積石塚(連接積石塚)

積石塚(連接積石塚)

積石塚(連接積石塚)は、自然石を層状に積み上げて墳丘を形作る方式です。石を重ねることで雨水が抜けやすく、安定性も高いという、構造的に合理的な作りになっています。

観察ポイント: 石材の大きさがどの程度そろっているか、積み方のリズム(層の繰り返し)に注目すると、当時の技術や修復の痕跡が見えてきます。石組みの乱れや補修の跡からは、保存の歩みも読み取れます。

封土墳

封土墳

封土墳は、土を盛って覆うタイプの古墳です。日本の古墳で言う円墳に近いものです。 

観察ポイント: 斜面の傾き(勾配)や表面の植生の違いが、風化や崩れの進み具合を示す指標になります。

このように同じエリアで異なる埋葬形態を見比べられるのは、石村洞古墳群ならではの楽しみです。

第3号古墳「近肖古王陵」の有力候補・規模と意味

第3号古墳の説明

石村洞古墳群中でも第3号古墳は特に注目されており、百済第13代の近肖古王(在位346年から375年)の王陵として有力候補とされています。確定はしていないものの、規模・構造・立地から王墓級の可能性が長く議論されてきました。現地では次の点を意識して見ると、王墓とする説の根拠が実感しやすくなります。

  • 墳丘の周囲にある段差(テラス状の造成)
  • 墓域の境界線(区画の仕方)
  • 石材の選別具合(大きさや質の揃え方)

なお、王墓比定については学術的な議論が継続中で、断定は避けるのが適切です。現地の案内表示や最新の研究発表に留意して見学しましょう。

他の都城遺構との関係(風納土城・夢村土城)

夢村土城

石村洞古墳群の北西には風納土城(プンナプ土城)、南西には夢村土城(モンチョン土城)があり、古墳群は都城の外縁や生活域に重なる位置関係を示しています。

風納土城と夢村土城の両城は漢城百済の王都防御施設として保存・研究・教育の拠点となっています。近隣にある「漢城百済博物館」の解説と合わせて見学すると、当時の都市構造が立体的に理解できます。観察のポイントは以下のとおりです。

  • 風納土城:土を層状に突き固める工法(版築)の層理に注目すると、築城技術の特徴がわかります。
  • 夢村土城:城壁線と地形の重なり方を読むことで、防御線がどのように設計されたかが見えてきます。

地図上で城と古墳の相互位置関係を重ねてみると、墓域・居住域・防御線の関係がよりクリアになります。

周辺の古墳群との比較(芳夷洞・可楽洞)

芳夷洞古墳群

松坡区には石村洞古墳群のほかにも、芳夷洞古墳群や可楽洞古墳群も分布し、墳丘の規模・構造・配置にそれぞれ違いが見られます。

特徴としては、石村洞古墳群に王墓級候補が含まれるのに対し、他の古墳群は陪臣層の墓域や別系譜の墓域と考えられており、地域ごとの社会構造の差を推測する手がかりになります。これらの古墳群を周遊する際は、各古墳群で以下の点に注目すると比較がしやすくなります。

  • 墳丘の高さ
  • 周堀の痕跡
  • 出土遺物の傾向

ソウルの百済歴史遺跡の場所巡りと石村洞古墳群の訪問レビュー

石村洞古墳群とロッテタワー

石村洞古墳群をはじめとする百済歴史遺跡の場所は、ソウル市街地のなかでも比較的狭い範囲に集中しているため、公共交通機関と徒歩での周遊が可能です。訪問順としては、古墳群→都城遺構→博物館へと段階的にスケールを広げると理解が深まります。写真撮影や安全面の配慮、季節選びも併せて計画しましょう。

ソウルの百済歴史遺跡の場所巡りモデルコース

 

漢城百済博物館

以下、ソウルの百済歴史遺跡を午前と午後の一日をかけて地下鉄と徒歩で周遊するモデルコースの一例を紹介します。

  1. 地下鉄の石村(Seokchon/ソクチョン)駅で下車、大通り沿いを西向きに200m(5分)ほど歩いて石村洞古墳群に到着。石村洞古墳群では古墳を観察。
  2. 石村洞古墳群から地下鉄の石村駅に戻り、地下鉄8号線(乗車8分)で千戸(Cheonho/チョンホ)駅に到着・下車、大通り沿いを西向きに250m(5分)ほど歩いて風納土城に到着。風納土城では城壁断面などを観察。
  3. 風納土城から地下鉄の千戸駅に戻り、地下鉄8号線(乗車3分)で夢村土城(Mongchon Toseong/モンチョントソン)駅に到着・下車、オリンピック公園内を1200m(20分)ほど歩いて夢村土城に到着。夢村土城では散策しながら城壁線などを観察する。
  4. 夢村土城からはオリンピック公園内を1200m(20分)ほど歩いて漢城百済博物館に到着。漢城百済博物館では展示物を見学する。
  5. 漢城百済博物館からオリンピック公園を出て南の方向へ1200m(20分)ほど歩いて芳夷洞古墳群に到着。芳夷洞古墳群では石村洞古墳群との比較観察。芳夷洞古墳群からは公園前の大通りを西へ600m(10分)ほど歩くと地下鉄の松坡ナル(Songpanaru/ソンパナル)駅に到着できます。

以上のとおり、途中で昼食や休憩などを挟んでも全体で6~7時間程度で周遊できるコースとなります。なお、漢城百済博物館については、営業日や営業時間について事前に公式サイトなどで確認しておくことをおすすめします。

石村洞古墳群の訪問レビュー

 続いて、筆者が実際に石村洞古墳群を訪問した際のレビューを紹介します。宿泊はソウル市内の明洞(ミョンドン)にあるホテルでしたが、現地までは地下鉄でスムーズにアクセスできました。

地下鉄駅から石村洞古墳群へのアクセス

地下鉄石村駅の6番出口

石村洞古墳群の最寄り駅は、地下鉄の石村(Seokchon/ソクチョン)駅です。石村駅の6番出口か7番出口が便利ですが、筆者は6番出口から地上に出ました。目の前の大通り(Baekjegobun-ro)をまっすぐ西に200mほど歩いて行くと、すぐに古墳公園の入口がありました。

歩いて行く際にはスマホのナビアプリがおすすめですが、見た目の目印としては、北側に123階建てのロッテワールドタワービルが見えますので、このビルに向かって左手の方向に進んで行けば正解です。駅からは徒歩5分ほどでした。とても近いです。

この石村駅は、地下鉄8号線と9号線の乗換駅となっておりソウル市内のどこからでも比較的アクセスが便利です。地下鉄9号線は金浦空港からの路線として利用する方も多いと思いますが、急行と各駅停車の2種類が運行されています。石村駅は急行も停車しますので便利です。

石村洞古墳群で古墳を観察

石村洞古墳公園その1

石村洞古墳群のある古墳公園は入場無料で、緑が多く静かで広い公園となっています。筆者は平日のお昼ごろに訪ねましたが、近所の方がちらほらと散歩に来ている程度で、観光客は筆者だけだったようです。ところどころにベンチもありますので、古墳を眺めながらゆっくりと時間をすごすことのできる場所です。

入口を入ってすぐのところに百済式積石塚の大きな古墳(第4号古墳)がありました。日本で見られる土を盛った形の古墳ではなく、文字通り石を積んだ構造物です。正確な表現ではありませんが、小ぶりのピラミッドに近いようなイメージかもしれません。積石塚は日本の古墳とは全然違うものです。

第

上の写真は第3号古墳で、百済第13代の近肖古王(在位346年から375年)の王陵候補とされているものです。周りにはロープが張られており、古墳のそばまでは立ち入ることができませんし、実際に手で触ることもできませんが、肉眼でも細かい部分まで十分観察することができる距離にあります。古墳の周りを360度グルっとまわって見ることができるようになっている点も、とても観察しやすくできていました。

第5号古墳の封土墳

古墳公園内には積石塚の古墳が4基ほどありました。そのほか、封土墳が1基ありました。上の写真の第5号古墳は封土墳となっており、規模はとても小さなものでした。形状は日本で見られる円墳とほぼ同じもののようです。

発掘調査中の古墳

公園内には発掘調査中で立入禁止になっている区画もありました。筆者が行ったときは、ちょうど研究者の方々が中に入って調査活動を行っていました。まだまだ未発掘のものが多いようです。

古墳を見ながら古墳公園内を一周しました。ゆっくり見ても30分もあれば一周して一通り見学できる感じです。気候のいい日なら、飲み物やお弁当を持ってきてベンチでくつろぐのにもいい感じです。ロッテワールドタワーと古墳、現代と古代のモニュメントの組み合わせもなかなか絵になります。

訪問のベストシーズ

 ソウルの百済歴史遺跡を巡るベストシーズンは春と秋です。夏の猛暑時や冬の寒い時期も訪問自体は可能ですが、徒歩移動が多く野外での見学となるので、訪問にベストであるとは言えません。

特に冬の降雪時は足元に注意が必要です。標高差は大きくないものの、墳丘周辺は段差・斜面・未舗装が混在します。滑りやすい箇所では無理をせず、植生の保護・踏み込み禁止エリアの遵守を心がけましょう。また、安全・施設ルール・開館情報は現地で随時更新されます。正確な情報は公式サイトをご確認ください。

まとめ:ソウルにある百済歴史遺跡の場所「石村洞古墳群」へのガイド

ソウル市内にある石村洞古墳群はとてもアクセスが便利で、手軽に行ける百済歴史遺跡です。漢城百済博物館や他の百済遺跡をあわせて周遊すると漢城百済の文化と歴史に対する理解が深まります。

また、石村洞古墳群はソウル観光の定番「ロッテワールド」からも地下鉄で1駅の距離となりますので、ソウル観光のおまけとして立ち寄ってみることもできます。ソウル観光を計画する際には、立ち寄りスポットとして組み入れることをおすすめします。

次のアクションへのヒント

■ ソウルにある百済歴史遺跡を巡るにはソウル市内で宿泊するのが便利です。

 韓国でのホテル探し → 楽天トラベル  アゴダ  エクスペディア

■ そのほかソウルでの歴史文化については、韓国ソウルにある日本統治時代の史跡「博文寺跡」を訪ねるなどの記事も参考にしてください。