隠岐の島での「流刑地めぐり」と観光モデルコースを紹介

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隠岐の島での「流刑地めぐり」と観光モデルコースを紹介

日本海に浮かぶ隠岐の島は、中世においては流刑地として知られ、歴史の舞台となった特別な場所です。このような歴史に興味をもち、隠岐の島で流刑地をめぐる観光モデルコースを調べている方にとっては、後鳥羽上皇や後醍醐天皇といった歴史的人物の足跡をたどる旅が大きな魅力となるでしょう。

また、「隠岐へ島流しになった人は誰?」と気になる方も多いはず。実際、隠岐には流罪となった皇族が滞在した史跡が数多く残されており、隠岐で「後醍醐天皇・後鳥羽天皇といえば」と語られる名所が点在しています。更に、「なぜ隠岐に島流しが行われたのか?」という疑問も浮かぶかもしれません。その背景には、地理的な隔絶性と政治的な意図がありました。隠岐は、政治の中心である都から遠く離れ、しかもアクセス困難な離島にあるため、権力者を政治から遠ざけるための島流し場所として最適な地だったのです。

本記事では、そうした歴史的背景を踏まえながら、流刑地めぐりをメインにしながらも、その他の隠岐の歴史・文化・自然を楽しめる効率よい隠岐の島の観光 モデルコースもご紹介します。史跡だけでなく、自然や文化も楽しめるルートを通じて、隠岐の魅力を余すことなく体感してみてください。

本記事が説明するポイント
・後鳥羽上皇や後醍醐天皇が隠岐に流された歴史的背景
・隠岐が流刑地に選ばれた理由と地理的特徴
・隠岐の島に残る流刑地関連の史跡とその見どころ
・各史跡とその他の見どころを効率よく巡るための観光モデルコース

隠岐の島の流刑地に関する基礎知識

知夫里島の行在所

まずここでは、隠岐へ島流しになった歴史的人物を紹介し、後醍醐天皇と後鳥羽上皇に関連する史跡や、なぜ隠岐に島流しとしたのか流罪の背景などを解説します。

隠岐の島旅: 公式サイト

隠岐へ島流しになった人は誰?歴史的人物を紹介

隠岐の島に流された人物として最も有名なのは、後鳥羽上皇と後醍醐天皇です。いずれも日本の歴史に大きな影響を与えた皇族であり、ともに流刑という過酷な運命をたどりました。

まず、後鳥羽上皇は1221年の承久の乱で鎌倉幕府に対して挙兵されましたが、敗北し、隠岐の島(中ノ島)に流されました。上皇という皇族もなかでも最高位の人物が島流しにされるのは異例のことであり、当時の政治的緊張の高さがうかがえます。

一方、後醍醐天皇は1331年に倒幕を企てて捕らえられ、隠岐の島(島後島または西ノ島)に配流されました。しかし、2年後に隠岐から脱出し、再び京の都に戻って政権を握るという劇的な展開を見せます。この出来事は鎌倉幕府の崩壊と建武の中興、そして南北朝時代の始まりに繋がる重要な転換点となりました。

このように、隠岐の島は単なる流刑地にとどまらず、日本の歴史を動かした人物たちの舞台でもあります。歴史に興味がある方にとって、訪れる価値の高い場所といえるでしょう。

後醍醐天皇・後鳥羽上皇といえばこの史跡

歴史ファンとして隠岐を訪れるなら、後醍醐天皇や後鳥羽上皇にゆかりのある史跡は見逃せません。これらの史跡は、流刑という過酷な境遇に至った歴史的背景を今に伝える貴重な文化遺産です。

後鳥羽上皇に関する史跡

隠岐神社の鳥居

後鳥羽上皇に関連する代表的な場所のひとつは中ノ島の海士町にある「隠岐神社」です。この隠岐神社は後鳥羽上皇を祀るために昭和14年(1939年)に建立された神社です。隠岐の伝統的な建築様式である隠岐造りで建築されているのが特徴で、隠岐の建築文化を知ることもできます。

また隠岐神社の境内には、隠岐の島に配流された後鳥羽上皇が仮御所として19年間お過ごしになられた行在所跡(あんざいしょあと)である「源福寺」というお寺の跡地があり、後鳥羽上皇が和歌に詠まれた「勝田池」や礎石なども残っています。

後鳥羽上皇御火葬塚

そのほか隠岐神社の境内には、1239年に崩御された後鳥羽上皇のご遺体が火葬された塚である御火葬塚と、後鳥羽上皇にちなむ複数の刀剣など、隠岐神社に奉納された宝物が展示された後鳥羽院資料館とがあります。

後醍醐天皇に関する史跡

隠岐黒木御所

一方、後醍醐天皇に関しては、行在所跡であったとされる場所が2ヶ所あります。1つ目は、西ノ島にある「黒木御所」です。黒木御所の名は、歴史物語「太平記」にも見られます。「太平記」によれば、元弘の変で隠岐に流された後醍醐天皇のために、佐々木宗清が黒木御所を用意し、そこを皇居としたと伝えられています。

黒木神社の扁額

現在、黒木御所の跡地には、後醍醐天皇を祀る黒木神社が鎮座しています。この神社は、安産の神としても信仰を集めており、地域住民にとって重要な存在となっています。また、黒木神社の隣には、後醍醐天皇に関する資料を展示する碧風館(へきふうかん)という資料館が併設されており、この碧風館では、後醍醐天皇の生涯や隠岐での生活、そして脱出に関する様々な資料が展示されており、黒木御所が天皇の行在所であったという伝承を今に伝えています。

隠岐国分寺

もう1つは島後にある「隠岐国分寺」です。この隠岐国分寺は、聖武天皇の勅願により全国に建立された国分寺の一つであり、後醍醐天皇が隠岐に配流されるよりも前の古代から隠岐における重要な寺院でした。隠岐国分寺が後醍醐天皇の行在所とされた根拠として最も重要なのは、南北朝時代の歴史物語「増鏡」の記述です。「増鏡」には、後醍醐天皇が隠岐に流された際、「海面よりは少し入りたる国分寺といふ寺を、よろしくさまにとりしひておはしまさむ所にさたむ」と記されており、海岸から少し入った場所にある国分寺が、後醍醐天皇の滞在場所として整えられたと述べられています。この記述は、後醍醐天皇の行在所が隠岐国分寺であったとする有力な根拠の一つとされています。

さらに、後醍醐天皇が隠岐滞在中に発給した綸旨(りんじ:天皇の命令を伝える文書)の存在も、隠岐国分寺が行在所であったとする説を強く裏付けています。出雲の鰐淵寺(がくえんじ)に残る古文書には、元弘2年(1332年)8月19日に、同寺の僧侶である頼源(らいげん)が隠岐国分寺において後醍醐天皇から綸旨を授かったという記録があります。後醍醐天皇が綸旨を発給した場所が隠岐国分寺であったという事実は、当時そこに天皇が滞在し、公務を行っていた可能性を強く示唆しています。

隠岐国分寺の行在所

現在、隠岐国分寺の境内には、後醍醐天皇の行在所跡を示す石碑が建てられています。また、境内には王城鎮護社(おうじょうちんごしゃ)という社があり、後醍醐天皇の像が祀られています。隠岐国分寺は、昭和9年(1934年)に後醍醐天皇行在所跡として国の史跡に指定されており、隠岐国分寺が日本史においても重要な史跡であることを示しています。

そのほかにも後醍醐天皇に関する史跡としては、後醍醐天皇が隠岐を脱出する際に休憩なされた西ノ島にある「御腰掛の石」や、後醍醐天皇が隠岐に流された際に一時的に滞在なされた知夫里島の赤ハゲ山にある「後醍醐天皇行在所仁夫里坊跡」など、いくつかの史跡を見ることができます。

なぜ隠岐に島流し?流罪の背景を解説

後醍醐天皇お腰かけ石

隠岐が流刑地として選ばれた背景には、地理的な隔絶性と政治的な意図がありました。これは、権力者にとって都合の良い「遠ざけるための場所」として機能していたからです。

隠岐諸島は日本海に浮かぶ離島で、本土からのアクセスが限られていました。特に中世においては、造船技術が未発達であったため、船でのアクセスが困難であり、逃亡のリスクが低い場所とされていました。こうした地理的条件が、流罪の地としての適性を高めていたのです。

また、流刑には単なる処罰以上の意味がありました。例えば、後鳥羽上皇や後醍醐天皇のように、政治的な影響力を持つ人物を都から遠ざけることで、政情の安定を図る狙いがありました。神聖な存在である皇族を処刑するのではなく、遠方に追いやることで、表向きには穏便に事を収めるという幕府側の配慮も見て取れます。

ただし、隠岐は完全な孤島ではなく、一定の文化や人の往来もありました。そのため、流された人物が現地で一定の影響力を持つこともあり、後醍醐天皇のように島民の協力を得て脱出に成功する例も存在します。このように、隠岐が流刑地として選ばれたのは、地理的な隔離性と政治的な計算が重なった結果といえるでしょう。

隠岐の島での流刑地めぐりと観光モデルコース

知夫里の赤壁

隠岐には流刑地に関連した史跡のほかにも歴史と文化を探訪できるスポットが多くあり、またユネスコ世界ジオパークに認定された独特で美しい自然景観を楽しめる場所でもあります。ここでは、先に紹介した流刑地をめぐりながら、そのほかの歴史・文化・自然を感じることのできるスポットをあわせて楽しめる観光モデルコースを提案します。

流刑地の史跡とセットにできる観光スポット

上で説明したとおり、隠岐にある島流し場所、つまり流刑地に関する史跡は大きく3カ所あり、隠岐諸島を構成する島々のうちの3つの島に分散しています。1つは後鳥羽上皇に関する史跡で、島前の中ノ島(海士町)にある隠岐神社。あとの2つは後醍醐天皇に関する行在所跡の2候補地、島前の西ノ島(西ノ島町)にある黒木御所と、島後の隠岐の島町にある隠岐国分寺でした。中ノ島、西ノ島、島後の3つの島に分散しています。そこで、流刑地の史跡ごと島ごとに、セットでまわることのできる観光スポットを紹介します。

中ノ島の隠岐神社

隠岐神社

中ノ島の隠岐神社とセットでまわることのできるスポットとしては、同じ中ノ島にある「宇受賀命神社(うづかみことじんじゃ)」がおすすめです。隠岐には、延喜式神名帳に掲載されている神社が16社あり、それ以外にも100社を超える神社があり、たくさんの神様が住む島とされています。宇受賀命神社もまた、延喜式神名帳に名神大社で列せられた格式高い神社です。

宇受賀命神社

位置関係としては、中ノ島の菱浦港から、流刑地の史跡である隠岐神社までが約3km、隠岐神社から更に約4km進んだところに宇受賀命神社があります。まわる順番についてはどちらを先にまわってもかまいませんが、宇受賀命神社の御朱印が隠岐神社で授与されている点を考慮すると、御朱印を集めている場合には、宇受賀命神社を先に参拝して、そのあと隠岐神社の参拝と流刑地の史跡めぐりをするといいでしょう。

菱浦港から宇受賀命神社までは比較的平坦な道ですが、自転車(レンタサイクル)で40分くらい、車(レンタカー)なら25分くらいかかります。戻りは宇受賀命神社から隠岐神社までは、自転車で25分くらい、車なら15分くらい、隠岐神社から菱浦港までは、自転車で15分くらい、車なら10分くらいになります。

西ノ島の黒木御所

黒木神社の入口

西ノ島の黒木御所とセットでまわることのできるスポットとしては、同じ西ノ島にある景勝地の「国賀海岸」「通天橋」「摩天崖」がおすすめです。これらの景勝地では、海岸にできた壮大な岩の造形を楽しむことができます。レンタカーがないと個人ではアクセスしにくい位置にありますが、西ノ島の浦郷港から出る「国賀めぐり定期観光船」(所要時間1時間30分)や「国賀めぐり定期観光バス」(所要時間1時間45分)などを利用すると海上や陸上から楽に観光することができます。

西ノ島摩天崖

位置関係としては、西ノ島の別府港から黒木御所までが約700mm、別府港から黒木御所とは反対方向に約6kmのところに定期観光船が発着する浦郷港があります。まわる順番については、どちらが先でもいいですが、定期観光船が一日三便(10:50発・13:00発・15:00発)なので、乗船したい定期観光船の便にあわせて都合の良い順番でまわるといいでしょう。

別府港から黒木御所までは徒歩で10分くらいなので、黒木御所とその周辺の史跡は徒歩で観光できます。定期観光船に乗船する際には、別府港から浦郷観光船乗り場前まで町営バスが運行しており、片道の所要時間は約20分となります。

島後の隠岐国分寺

隠岐国分寺の山門

隠岐諸島で最大の島となる島後において、隠岐国分寺とセットでまわることのできるスポットとしては、同じ中ノ島にある「玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)」がおすすめです。玉若酢命神社は島後の神社の中でも最も由緒ある神社の1つに数えられ、本殿は隠岐の神社最古の寛政5年(1793年)の建築。隠岐独特の隠岐造りといわれる建築気式です。 屋根は、茅葺き、千木、堅魚木、のうえに雀踊(すずめおどり)とよぶ横木がおかれ、素朴でありながら威厳のある神社となっています。また、玉若酢命神社に隣接する億岐家住宅は、茅葺き屋根と隠岐造りが特徴の国指定重要文化財です。

玉若酢神社

位置関係としては、島後の西郷港から玉若酢命神社までが約2.5km、更に玉若酢命神社から進んで約2.5kmのところに隠岐国分寺があります。まわる順番については、どちらが先でもいいでしょう。

西郷港から玉若酢命神社、そして隠岐国分寺までは比較的平坦な道ですので、自転車(レンタサイクル)でも観光可能です。西郷港から玉若酢命神社までは、自転車で20分くらい、車(レンタカー)なら10分くらいです。玉若酢命神社から隠岐国分寺までも、自転車で20分くらい、車なら10分くらい、隠岐国分寺から西郷港までは、自転車で30分くらい、車なら15分くらいになります。

おすすめの観光モデルコースは?何泊必要?

隠岐汽船しらしま

以上のとおり流刑地の史跡とセットにできる観光スポットがわかったので、それを表にまとめてみると次のようになります。なお、「訪問スポット」の太字で記載したものが流刑地の史跡です。

観光する島訪問スポット島での所要時間
中ノ島(島前)宇受賀命神社・隠岐神社1時間半~2時間
*自転車または車を利用
西ノ島(島前)黒木御所・国賀めぐり定期観光船 or バス2時間半~3時間
*別府港~浦郷港は路線バス利用
島後玉若酢命神社・隠岐国分寺1時間半~2時間
*自転車または車を利用

この表を見るとわかるとおり、中ノ島、西ノ島、島後のそれぞれの島で、移動と観光をあわせて2~3時間かかります。そのほかに食事や休憩、ショッピングなどの時間を考慮し、更に本土からのアクセス(フェリー)が片道2時間半かかることも考慮すると、ゆっくり観光するためには2泊3日のスケジュールがおすすめです。

2泊3日の観光モデルコース例

赤ハゲ展望台
【1日目】
  • フェリー 本土(七類)9:30発 菱浦港12:40着
  • 昼食をとって、レンタサイクルで隠岐神社と宇受賀命神社をまわる
  • 中ノ島(海士町)で宿泊
【2日目】
  • 内航船 菱浦港09:00発 別府港09:15着
  • 町営バス 別府港10:19発 浦郷観光船乗り場前10:41着
  • 国賀めぐり定期観光船 10:50~12:20に乗船
  • 浦郷港のレストランで昼食
  • 町営バス 浦郷観光船乗り場前13:09発 別府港13:33着
  • 徒歩で黒木御所を観光し、別府港に戻る
  • フェリー 別府港17:15発 西郷港18:30着
  • 島後(隠岐の島町)で宿泊
【3日目】
  • レンタサイクルで玉若酢命神社と隠岐国分寺をまわる
  • 西郷で昼食のあとショッピングなど
  • フェリー 西郷港15:10発 本土(七類)17:35着

上の観光モデルコースの例では、1日目が中ノ島、2日目が西ノ島、3日目が島後での観光ですが、この順番を入れ替えてもスケジュールは可能となります。なお、順番を入れ替える場合も、比較的時間のかかる西ノ島を2日目にするのがおすすめです。

1泊2日の観光モデルコース例

摩天崖で放牧の牛と馬

時間のない人の場合、1泊2日の観光モデルコースでも可能です。ただし、それぞれのスポットでの滞在時間は短くなり、全体的には駆け足での観光になりますし、一部割愛すべきスポットもあるでしょう。例えば、1泊2日で次のような観光モデルコースが可能となります。

【1日目】
  • フェリー 本土(七類)9:30発 別府港12:05着
  • 別府港で昼食をとって、徒歩で黒木御所を観光し、別府港に戻る
  • 町営バス 別府港14:20発 浦郷観光船乗り場前14:44着
  • 国賀めぐり定期観光船 15:00~16:30に乗船
  • 町営バス 浦郷観光船乗り場前16:38発 別府港17:00着
  • フェリー 別府港17:15発 西郷港18:30着
  • 島後(隠岐の島町)で宿泊
【2日目】
  • レンタサイクルで玉若酢命神社と隠岐国分寺をまわる
  • フェリー 西郷港12:05発 菱浦港13:15着
  • 昼食をとって、レンタサイクルで隠岐神社をまわる(宇受賀命神社は省略)
  • フェリー 菱浦港15:15発 本土(七類)17:55着

まとめ:隠岐の島での「流刑地めぐり」と観光モデルコースを紹介

本記事の内容をまとめると次のとおりです。

  • 隠岐の島は後鳥羽上皇と後醍醐天皇が流された歴史的な流刑地である
  • 後鳥羽上皇は承久の乱の敗北後、隠岐の中ノ島(海士町)に流された
  • 後醍醐天皇は倒幕計画が発覚し、隠岐の島後または西ノ島に流された
  • 隠岐神社は後鳥羽上皇を祀る神社で、御火葬塚や資料館も併設されている
  • 黒木御所は後醍醐天皇の行在所跡の候補地とされ、現在は黒木神社が建つ
  • 隠岐国分寺も後醍醐天皇の行在所跡の候補地とされ、国の史跡に指定されている
  • 隠岐が流刑地に選ばれたのは、地理的隔絶と政治的配慮によるもの
  • 隠岐には流刑地以外にも歴史・文化・自然を楽しめるスポットが多い
  • 中ノ島では宇受賀命神社と隠岐神社をセットで巡るのがおすすめ
  • 西ノ島では黒木御所のほか、国賀海岸・通天橋・摩天崖を観光船や観光バスで巡れる
  • 島後では玉若酢命神社と隠岐国分寺を組み合わせて訪問できる
  • 各島の観光にはレンタサイクルやレンタカーの利用が便利で、移動時間も把握しやすい
  • 隠岐で史跡のある3島を巡るには2泊3日が理想的で、1日1島のペースが無理なく楽しめる
  • 一泊二日でも主要な史跡を巡ることは可能だが、時間配分に工夫が必要
  • 各史跡はアクセスにやや難があるところも多いため、事前にフェリーの運航時刻やルート確認が重要